誤解  

 

一番大きな誤解は、海外へ出たときのことだが、

“その国の言葉が話せなくても、善意を持って接すれば、お互いに気持ちが通じ合える”

ということだそうな。そういう意味のことを書いたコラムを、つい最近新聞でみたが、何新聞のどのコラムだったか忘れてしまった。

 

ついで、わたしが最近接した極端な誤解をいうと、

10月5日のNHK深夜11時過ぎから放映のあった「ものしり一夜づけ」を観たお方たちが、あの「めだか釣り」撮影の現場をわたしの自宅だと思われたらしいってこと。(このページ冒頭写真がそれ)

あの場所は、江戸時代の権勢家・老中柳沢吉保が、将軍綱吉から賜った別邸のなかの茶室です。これを、なんと、わたしの自宅だと誤解し、「けっこうなお住まいですねぇ〜」と、おっしゃる。

それが、多少でも、わたしと面識あるお人であったりすると、びっくりして二の句が継げず、「えっ!」と絶句するのみ。

ぜんぜん面識も何もないお方は、あの画面から、いろいろ推測が散らかるようで、

「めだか釣りしていたあの俳優さんは…」などと言う。勝手にわたしを俳優さんに見立てたりしておる。

 

「めだか釣り」が、最近、TVNHK・朝日放送)に映ったり、新聞(朝日新聞)に載ったりしたきっかけは、どうやらわたしのホームページ「波平釣り日誌」にあったらしい。

このホームページの中に、「魚釣り文化講座」と題し、魚釣りにまつわることを、思いつくまま書き連ねていたのが、たまたま魚釣り好きなメディア関係者のお目に止まったってことがきっかけだったようだ。

わたしは、まさかこのような展開になろうとは、思わなかったから、あれこれ書き連ねはしたけれど、出典先のいちいちの掲出や、事実確認の再調査など、本来はすべきであろう諸々の手間を省いていた。

これもわたしの遊びであるとの意識の中で勝手気ままに書いたのであった。

で、誤解はここにも顔を出した。

 

「魚釣り文化講座」などと銘打ってはいるけれど、これは、学問ではない。大学の講座などではござらん。これを学術論文だと誤解されては困る。そんなエエもんじゃない。

この論文(?)の主眼は、

1.魚釣りをなさらないお方にも、魚釣りの趣を、いささかでも知っていただきたいということ。

2.魚釣りをなさるお方には、さらに魚釣りの楽しみを深めてもらいたいということ。

要は、魚釣りの、趣(おもむき)解説書でありたいと、願って書いたのだってこと。

わたしに学術書など書けるわけがない。また、その気もない。

乱暴な言い方をすると、

“釣り心”の、理解という目的へ向けての、特急電車であり得ても、

学問的な価値は無いってこと。向後、仮に、この「魚釣り文化講座」の中の記述を、「ほれ、ここにこう書いてあるじゃないか」などと、出典先として掲出なさるお方があっても、わたしゃ、責任取りませんよってこと。

 

でもねぇ〜、できれば、出典先として引用に耐え得るものでありたいですよね。

仲間のOM氏が、「出典先再調査を急ぐべきだ、気合を入れろ!」と、はっぱを掛けますが、これって、難儀ですでぇ〜。

なにせ、出典先引用先が多すぎる。それをいちいち書き出していたら、文章がこんがらがって、何を書いているのかわからなくなる。

実際のところ、書き始めの頃は、それをやっておったのだけれど、こんがらがるのと、めんどうなのとで、すぐにやめてしまった。

今、仮に、再度、これに挑戦するとなれば、少なく見積もって一年はかかりそう。

手元に持っている文献などは数が知れている。多くは図書館や、個人所蔵の珍書。

三木市や神戸市の公立図書館って、所蔵図書が少ないですネェ〜、ほとんど役にたたん。県立図書館とか国会図書館からの取り寄せになったり、図書館内閲覧だけで貸し出しはお断りって物もあるからそちらへ出かけたり。個人所有の物は、必要部分をコピーし、フヮックス送信してもらったりしたが、わたしは文書整理が下手で、それって探し出すのがこれまた難儀だよ。

図書に資料に再会できたとしても、以前は必要箇所だけを乱暴に読み飛ばしたのだったが、次回はそうも行くまいからシンドイことだ。以前は、エイヤッ!とばかりに、著者の記述趣旨を、わたしなりの言葉で勝手に写し取り、取り込んだのだったが、出典先引用先原書を、よォ〜く熟読すれば、趣旨は概ね合っていても、ニューアンスが違うってことになるかもわからん。どうしましょうか。こういうところは、随所にありそうな気がします。

 

世は、インターネットの時代ですよね。

以前は、各種議論は本の記述内容をめぐってのことが中心だった。今の時代は、インターネットが多用される。

「魚釣り文化講座」も、インターネットで公開しているにすぎない。

が、この「魚釣り文化講座」に取り上げた他文献の引用箇所の公開が求められる際は、

不思議なことながら、未だに「本」が想定され、「本」からの引用でないと、価値が無いような印象が濃くはないですか。仮に、ですよ、

「引用先は、“http://www.○×△▽.com ”ですわ」と、お返事したら、

「なぁ〜んだ、つまらん、そんなことか」と、なりゃせんだろうか。

わたし、実は、ここのところを逆手にとって悪用しておりますです。

だから、「魚釣り文化講座」は、インターネットには載せはしたが、「本」にはしていないってこと。出来ないってこと。もちろん、自費出版するお金不足もあるわけだけど…。

お金ためて「本」にしたいですねぇ〜。

そのためには、まだまだ研究が、勉強が足りません。これって、わたしのライフワークだと思っております。

 

定年退職後の二度目の勤めも、もうシンドウなってきた。近々首になりそうだし、もし、そうなったらもっけの幸いだ。めだか釣りしながら講座の続きをやってみたいと思っております。

メル友に、“くりさん”というお方がある。あのお方の真似をしたいなぁ〜。