止まった時間  

 

(波平宅。メダカ団地の一軒)

気分が、Aから⇒Bへ、変わること、これが大切。

プラスとマイナスがあって、

プラスは、俗に言うと、“その気になった”ってこと。

マイナスは、なげやりになって“切れてしまった”ってこと。

切れてしまってはしょうがないよなぁ〜、もう頭に来て脳味噌真っ白ケ、周囲のことがわからなくなっている。これは感心しません。

やはり気分変換はプラス向きでなくては意味が無い、

気持ちの上で、“よっしゃ、やってみるか”と、前向きでありたい。

 

その気になるきっかけは、さまざまでしょうが、自分の意志でその気になるのでなくてはダメ。

月給仕事の世界で上司から指示され、イヤイヤ動き、対価に月給を得る。気が入ってない分、きっと、成果は上がらないでしょうよ。

上司の指示ではあったけれど、言われてみるとナルホドと得心するとこがあって、“よっしゃ、やってみるか!”となったら、パワーは全開。売り上げ倍増は間違いなし。

思うに、わたし、ズーと、気が入らぬまま定年退職しちまった。不出来な不埒な職員だったなぁ。現役時代は某市の職員でした。

だが、放課後もそうであったかというと、こちらの方は結構まじめに遊んでいた。気が入っとる。一生懸命、魚釣りしておった。もちろん本気。

 

本気の魚釣りの中にあって、ある種忘我の心地になるのが、魚が釣れた瞬間だ。時の流れはここで一刀両断に断ち切られ、ピタッと止まって動かない。

この感覚が好きだから魚釣りに夢中になる。よくよく考えれば、魚が得たいから魚釣りしたのではない。エクスタシー(?)を釣りたいのだった。

…と、冷めて気がつくと…、いつの間にか時間はダラダラ流れ動いて取り止めがない。

 

わたし、先日のTV解説のなかで「めだか釣り」の面白さを言うに、

「魚釣りは、釣れた瞬間を境にして、世界がパッと変わります。前と後はまったく違う世界。面白いですネェ」などと、言った。

それは、そのとおりなのだが、転換が面白くて言ったのではない。

転換する際の、在るか無いかの、境が面白くってそう言った。止まった時間があるってこと。ここで、魚と出会ったってこと。

おもしろいですねぇ〜。止まった時間ってあなた実感したことおありですか?

ところで、エクスタシーですけど、魚釣りは元来がエッチな遊びだって説がありますです。???…。

 

メダカ釣り…。

小さな水盤の中にも、止まった時間がいっぱいあって、それを捉えるに、水盤が小さすぎるってことはない。

わが家の庭の日向で、メダカらの常の棲家のひとつ(写真の睡蓮鉢)を眺めていますとね、メダカらが楽しげに泳いでおりました。

今日は日差しがあって、水温が高い。メダカの活性が高い。